「……い」

微睡みの中、誰かの声がする。

「……起きろよ」

その声に瞼が痙攣したように蠢く。
身体はまだ睡眠を欲していたが、同時に肌寒さも感じている。ロイは薄く目を開けて、重い瞼を慣らすように小さく瞬きを繰り返した。

「ロイ。風邪ひくぞ」

ああ、と声は出せずに唇だけを動かした。

どうやらあのまま本当に眠ってしまったらしい。薄いシャツ1枚でベッドの上に横臥していたものだから、身体もすっかり冷え切っていた。微かに身を震わせる。

「見ろ。んなとこで寝こけてっから、身体が冷えてんじゃねえか」

温かな手がロイの冷えた腕をゆっくりと擦る。
その優しい手の動きに、もう一度ああ、と返事をしようと身体を仰向けにさせて―――虚ろだった双眸を開いてぎょっとした。

「……ヒューズ……」

仰向けになった自分に、覆い被さるようにして見下ろすヒューズの姿があった。男の肩越しに天井の照明が目に入る。

「いつまで経っても降りて来ねえと思ったら、お前さんこんなところで寝てやがるし。せめて毛布くらい掛けねえと、風邪ひいちまうだろうが」

逆光で見る男の顔が優しく笑うのが判った。
次いで、大きな手がロイの額にかかった前髪を払い、そっと重ねられる。

「…ヒュ……」

ロイの目を見つめたまま、ゆっくりと男の顔が近付いてくる。

「……っ…!」

あと少し。
息がかかり、唇が触れ合うその直前に、ロイは男を押し退け全身を使って跳ね起きた。

「……おいおい」

転げ落ちるようにしてベッドから離れると、ヒューズが苦笑して振り返った。呆れたようなその口調に、過剰な反応をしてしまった自身を恥じてヒューズから目を逸らす。

「……悪い。客人を放って眠りこけるなんて、マナー違反だな」

漸くその言葉を絞り出すと、ヒューズは肩を竦めて見せる。

「構わねえよ、俺が無理に押しかけちまったんだしな。それより、お前さんすっかり身体が冷えてるぞ。シャワーでも浴びて来た方がいいんじゃねえか?ってまあ、酒もあるけど……どうする?飲むか?」

どうしようかとロイは僅かに逡巡したが、アルコールが回るのを待つより、今は手っ取り早く身体を温めたかった。

「……いや、酒はもういい。相手をしてやれなくて悪いが、シャワーでも浴びてくる」

「そっか」

「お前も、酒は適当に切り上げて休めよ」

「……ああ」

ヒューズの目が自分を追っているのは判ったが、まだ動揺が残るロイは逃げるように階段を降りていった。








薄手のシャツを脱ぎ捨て、スラックスは下着ごと足から抜き去ると、肌が一斉に粟立つのが判った。
思っていたよりも身体が冷えている。ドアを開けバスルームに入ると、冷え切った室内の空気に晒された全裸の肌が更に粟立った。
早く身体を温めたい。熱めの湯に調整するとそれを頭から被り、同じように熱めの湯をバスタブに張り始めた。

強張った指先や爪先にじわりと熱が伝わり、感覚が急激に戻ってくる。
安堵の混じる長い息を吐くと、ロイは両手で湯を掬い顔を洗った。身体の上を滑り落ちていく熱い湯が心地良くて、思わず意識をその流れにだけ向けていた時。

「久々に見ても、ヤらしい躯だな」

「!?」

背後から突如聞こえた声に、びくりと身体を震わせて振り返った。

「……ヒューズ」

ロイが不快そうに眉を寄せ低い声を発しても、男は戸口に凭れかかった体勢のまま、ただ僅かに口角を引き上げている。

「少し痩せたな。だけど、腰が細くなってかえってそそられる。小さいくせに張りがある丸い尻も、真白なままだ」

「……悪趣味だ。出て行け」

「その白い尻を振って、女だけじゃなく男とも寝てるのか?」

「…ヒューズ。いい加減にしろよ」

ロイが唸るように声を発する。
だが、ヒューズはそれを面白がるような表情でバスルームへと足を踏み入れた。細いフレームの眼鏡もなく、素足だったが、彼の着衣に乱れはない。ロイの肌を打ち弾けた飛沫がヒューズのシャツに降り注ぐのを、かろうじで視界に捕らえていた。

「おい…!」

この時初めて、ロイはこの『友人』に恐怖を抱いた。彼の足が一歩前に踏み出されるごとに、ロイの足は後退りする。
だが、狭いバスルームではすぐに逃げ場を失った。

「……やめ…!」

男の接近を拒む前に、微かな体臭とともに男の固い身体が覆い被さってきた。冷たいタイルの壁に、血の通い始めた剥き出しの肌が押し付けられる。

「いい加減にしろって…!」

「おいおい。何もそんなに怯えなくてもいいだろ?」

顔は笑っているのに、鋭いその双眸は決して笑っていない。ロイの全てを射抜くような強い光を放っていて、抵抗を鈍らせる。

「ヒューズ!」

「教えろよ、ロイ。俺とセックスしている時と、別の男とセックスしてる時。どっちが興奮するんだ?そいつのもやっぱりしゃぶってやってるワケ? お前、最初あんなに下手くそだったのに、段々美味そうにしゃぶるようになったもんな」

「ふざけるな!」

侮蔑の言葉に頬がカッと赤く染まる。同時に湧き上がる怒りに身体を反らして突っ撥ねようとしたが、ヒューズがそれよりも早く体重をかけてきた。壁とヒューズに完全に挟まれ身動きが取れない。
僅かに上がった互いの呼吸音だけがやけに響く。

「……ヒューズ。頼むから冗談はここまでにしてくれ」

恐ろしくて男の顔が見れない。眉を寄せて顔を背けたロイに、ヒューズが嗤う。

「本気で冗談だと思ってるのか?」

逸らされたことで無防備になったロイの耳朶を食みながら、ヒューズの手が背骨を伝い尻の狭間に辿り着く。

「……っ…!」

その指が奥まった箇所を探るでもなく、ただゆっくりと割れ目を浅くなぞるのに、ロイは背筋を震わせ息を詰めた。

「ん……!」

ねっとりとした熱い舌先が、ぴちゃりという音を立てて耳の中に差し込まれる。それから逃れようと身を捩るロイを自身の重みで壁に押さえつけたまま、空いたヒューズの片手が胸の突起を嬲り出した。

「あ、く……」

下から引っ張るようにして摘み上げられ、そこから痛みとも快楽とも取れる痺れが走る。

「……吸って欲しいか?」

熱い息とともに、やはり熱を孕んだ声が耳に吹き込まれる。

「う……」

「久し振りに噛んでやろうか……?」

凌辱するような言葉に、ロイは水の含んだ髪を乱して頭を振った。

「もう、やめ……!」

下肢の中心が熱を持ち始めている。気付かれたくないのに、隠すものもない全裸ではそうもいかない。それは緩く勃ち上がり、物欲しそうにふるりと揺れた。

「言えよ」

更に強い刺激を求めて力なく震えるそれに目を落とし、口端に満足そうな笑みをのせてヒューズが言う。

「……な、に…?」

「言っちまえよ、お前の本心。俺に何を望むのか、本当はどうしたいのか」

ヒューズの顔はすぐ間近にあった。高い鼻先がロイの小作りな鼻先に押し当てられ、小さく左右に揺すられる。
彫りの深い目元は閉じられ、どこか祈るような印象をロイには与えた。

「いつだってお前は何も言おうとしない。だけど、いつだってお前の目は俺に何かを訴えかけているんだよ。……言っちまえよ。お前の本心を全部、俺にぶちまけてみろよ」

ヒューズが言葉を発するたびに、熱い吐息がロイの唇に降りかかる。その熱さに囚われ、何もかもを吐露してしまいたい激情に陥りそうになった。

思考も何も奪われる、ひどい眩暈がする。

「お前だって……!」

その先の言葉を言ってはいけない。だが、食い縛った筈の唇からは堪えきれない言葉が漏れた。

「お前だって、その指輪を絶対に外したりしないだろうが……!」

瞬間、ヒューズの動きが止まった。
そして僅かな間を置いてから、ロイの身体をいいように嬲っていた手はゆっくりと、眼前に晒された身体をなぞりながら上がっていき――――胸の突起を僅かに掠めて、柔らかな頬を包み込んだ。

「……お前さんが外せって言うなら、いつでも外すけどな」

その言葉に、ロイの全身がびくりと揺れた。
鋭い緑の眸。
真直ぐにロイを貫くそれは、やはり強い光を放ち戸惑いは窺えなかった。

だが。

「……卑怯者が」

ロイの口から搾り出た声は低く、怒りに満ちていた。

「……卑怯だ、お前は……」

二度目の声は低く掠れた。

卑怯な男だ。
自分からは決してそれを外さない癖に、ロイが『お願い』すれば外すのだと言う。

しかし、それを言うならロイも同じだった。
自分からは決して言えないこと。互いに感じるボーダーラインを、相手が先に越えてくるのを待っている卑怯者だ。

「卑怯者か。確かにそうかもな」

ゆっくりとヒューズの手が離れていく。

「……だけどまあ、俺はお前さんを絶対諦めねえけどな」

「……出て行け」

「はいはい。ちゃんとバスタブん中浸かって、身体温めろよ。風邪ひかないようにな」

パタンと小さな音を立てて、扉が閉められる。

「……っ…」

知らず詰めいていた息を吐き出すと、ロイの膝から力が抜けていった。
ヒューズに押し付けられた壁に身体を預けたまま、ずるずるとしゃがみこんでしまう。

危なかった。
もう少しで欲に負け形振り構わず彼にしがみついて、あの薄い唇を弄ってしまうところだった。
鼻先を擦りつけ彼の匂いを嗅ぎ、彼が与えてくれる熱を思うままに甘受したい。
あの頃のように、指で、舌で、熱い吐息と昂りで。

――――ヒューズ…

下肢で揺れる、緩く勃ち上がった自身にそっと手を添える。
かつて彼がしてくれたように、先端を緩く撫でてから上下に擦る。擦り上げ、括れを少しだけ指で締めて、また上下に手を動かす。

「く……!」

声は絶対に漏らせない。
だけど彼に聞かれてしまってもいい、そんな相反する感情が更なる欲を煽り立てる。いやらしい水音が室内に響くのもたまらない。

放出する寸前で先端を手で覆い、掌に押し付けるようにして吐精した。

「……は……」

湯の熱気に混じって、鼻をつく独特の匂いがバスルームに立ちこめる。
指の間から零れる白濁したそれを、ロイは肩を喘がせたままただ見つめていた。



―――――もう、無理だ




今度、またヒューズが悪戯に触れてくることがあったとしたら。


その時はもう、その手を振り払えないことが痛いほどに判っていた。