「それじゃ少尉、お先に失礼します」

「ああ。お疲れさん」

仲間内では最も歳若い曹長が頭を下げるのを見て、ハボックは軽く手を上げてそれに返した。
パタンと小さな音を立てて彼が部屋を出て行くと、室内に残されたのはハボックだけとなってしまった。夜勤のブレダは呼び出しを喰らったまま戻ってこない。

日もすでに大分傾き、薄暗い室内にはハボックが手にしたペンが紙の上を突くカツカツという小さな音だけが響いている。
目の前の報告書を纏めればハボックも上がれるが、どうにも集中出来ずにただぼんやりと席に座ったままだった。

「……何つーか」

何となしに突いていたペンを、カツ、と一度大きく音を立てて動きを止めた。

「馬鹿じゃねーの……」

集中できない理由は自分でも判っている。
1時間ほど前に出て行った、上司の後ろ姿が頭から離れないのだ。中央から来た彼の親友に、まるで肩を抱かれるようにしてこの部屋を後にしたその姿が。

彼らの親交の深さはもう1人の上司からも聞いているし、目の前でも微笑ましいんだか馬鹿らしいんだかの友情を何度も披露してくれている。仕事に託けて東部にやってくる度。 離れていれば、電話という手段を使って。
だが、あくまでもそれは純粋な友情という結びつきに過ぎないと思っていた。
士官学校からの親交であり、また彼らはあの過酷と言われたイシュヴァール戦での戦友でもある。自分たちには計り知れない心の繋がりがあるのだろうということは容易に想像がついた。

だけど、それだけだと思っていた。いや、もしかしたらそれだけなのだと思い込みたかったのかもしれない。

それが違った意味をも持っていたのを知ったのは、つい最近のことだ。

2ヶ月ほど前。上司の護衛として二人で中央へ出向き、そこで1泊したことがある。

午後に到着し、日が完全に落ちるまで慌しく業務をこなした。
列車の中での軽食以外ろくにとれず、ひと段落した頃には上司も自分もかなりの空腹を訴えていた。

そこへ彼が差し入れのコーヒーを持ってやって来た。一通りの挨拶のあとには、いつもの二人のやりとりが始まる。
何とも言えない気持ちでそのやりとりを見守っていたが、身体は正直に空腹を訴え続けており、どうしたものかと思っていると、それに気付いた上司が口を開いた。

『まだヒューズと話がある。遅くなるだろうからお前は先に食事へ行って、休んでくれて構わない』

そう言われ、ハボックは確かにこの時少しばかりラッキーだ、と思ったのを覚えている。上司の送迎がなければ中央で遊ぶ時間が 持てる。田舎の東部とは違って、夜遅くになっても活気のある中央での自由な時間は素直に嬉しい。

だから上司の言葉通り、一足先に上がらせてもらった。
東部とは比べ物にならないほど広い内部に迷いながら、ようやく正面玄関から外に出ようとした時だった。財布を忘れてきたことに気が付いたのは。

何度ポケットを探っても出てこない。1泊程度の小さな荷物の中にももちろんなかった。
『マジかよ…!』と焦ってあちこち探ってみるが、やはりどこにも見当たらない。
落としたのか、と愕然として、そこでようやく先程のやりとりが思い出された。コーヒーの代金、だ。
つい先刻、ヒューズが買ってきた美味いコーヒーを受け取り、代金を支払おうと財布を取り出したところへ『奢りだ』と言われ、頭を軽く下げ――――そのまま机の上に置いたことを思い出したのだ。もしもあるならあそこしかない、と ハボックは慌てて踵を返し今来た道を戻り始めた。



部屋へ入ると、もうそこには誰も残っていなかった。
二人でどこか食事にでも行ったのだろうと思いながら机を見渡せば、そこには見慣れた自分の財布がちょこんと置いてあった。
良かった、とそれを手にして部屋を出ようとして――――部屋の奥、隣へ続く扉の向こうから人の気配がするのに気が付いた。
上官二人がいるのだろうか、と何となしに覗いて見て、ハボックはそのまま固まった。
確かに自分のよく知る二人がそこにはいたが、目の前ではありえない光景が繰り広げられていたからだ。

驚いた。声を出さずにいられたのが不思議なほどだった。

水音を立てて口付けに没頭し、相手の大きな手に小さな臀部を鷲掴みにされて息を弾ませていた上司。
軍服のオーバースカートを捲り上げられて、ズボンの上からとはいえ男の指に尻の割れ目を愛撫されてか細い愉悦の声を上げていた。

いつでも尊大な態度を崩さないあの彼が、まるで女のように扱われて。それをまた甘受していることにハボックは動揺し、驚愕した。

そして何より動揺したのは、自分がそんな上司の姿に欲情したことだ。
同時に、触れることを許されている男への嫉妬。

エスカレートしていく行為に耽る二人に気付かれないよう、逃げるようにそこから立ち去り、その日は結局食事もろくにとれなかった。

それからというもの、気付けば上司を視線で追う始末だ。
だが普段の彼は相変わらずやる気がなく、かと思えば仕事に没頭し、外へ出ればやたら愛想良く女受けがいい。そんな彼から過日の男に翻弄される姿はやはり想像もつかず、こうして1人になれば悶々としている。我ながら情けない。

「……ったく」

意識しない溜め息が漏れる。
ペンを放り出しポケットを探ったが、そこに目当てのものを見つけられずに今度は引き出しを物色する。
だがそこでも煙草を見つけられず、ハボックは「あーもう」と小さく舌打ちをして頭を掻き毟った。どうにもすっきりしない時は、何をやっても裏目に出る気がしてくる。

「あーやめやめ。違うことでもして気ぃ晴らすか」

報告書は今日中といっても、上の人間が確認するのはどうせ明日だ。朝一で提出しても間に合うことは間に合う。
ハボックは上着を脱いで机の上に放ると、軽く腕をストレッチしながら部屋を後にした。