車を回して来ようと受付に行きかけたハボックを制した男は、慣れた様子で東方司令部を後にした。 ロイの家はここから車でおよそ7、8分、徒歩なら20分以上はかかる閑静な住宅街の中にある。
大した距離ではないが、ただでさえ気まずいというのに20分以上もこの男と彼の家に向かって歩くことを考えると正直気が引けた。車内という密室で二人きりというのも苦痛な気がするが、ほんの数分で済むだけまだ楽だ。

口には出せないことを考えながら、先を行くヒューズから半歩遅れる形を取って、ハボックは男の歩幅に合わせてすっかり日の落ちた街を歩いていた。
ハボックよりも少しばかり背の低い男は、すでにアルコールが入っているためか普段よりも幾分ゆったりとした足取りだ。余計な緊張もハボックを焦らすための作意もない至って自然な態度に、こちらだけが振り回されているのを改めて実感する。

それともハボックに考える猶予を与えているのだろうか?
確かに、今ならまだ逃げ出せる。


―――――あいつを抱かせてやると言ってるんだろうが。素直になれよ。


ふと、射撃訓練場で言われた言葉が頭の中に蘇った。

「……」

彼に悟られないよう息を吐く。
一体、この男は何を考えているのか。
どうして自分にこんな馬鹿げたゲームを持ち掛けてきたのか。

街を巡回している憲兵の姿をたまに見かける程度で、街はいつもと何ら変わりない。ただ、自分だけがどこか浮いているような気がして仕方がなかった。



中央ほどではないとはいえ、それでも賑やかな市街を互いに無言で歩き続けていたが、不意に男が口を開いた。

「ここも随分落ち着いたな」

その言葉にああ、とハボックは内心で肯いた。内乱終結直後の東部の治安の悪さは国内でも一、二を争うほどで、日が落ちるのを合図に街からは人の姿が消えていたほどだ。

「どうした?」

「え?」

「口数少ないな。緊張してるのか?」

白い息を吐きながら、前を行く男が振り返らずに訊ねて来る。

「……」

斜めから僅かに窺える横顔をぼんやりと見ながら、ハボックは小さくいえ別に、とだけ答えると、男もそうかとごく短い返事を口にした。

「ちなみにハボック少尉。男と寝たことはあるのか?」

先程の世間話と何ら変わりのない口調で男が問いかけてきたのに、ハボックの足が思わず縺れる。慌てて体勢を立て直して、僅かに怯みながらも抑えた声で答えた。

「……ありますよ」

「へえ?」

面白がるような響きのそれに、馬鹿にされたような気がしてムッとする。

「一度だけですけどね」

「そういやお前さん、養成学校出身の叩き上げ組だったな。その貴重な体験はそこでか?」

「……まあ、そうですね。男ばかりで……」

「どっちだ?」

「は?」

「上か下かってこと」

ああ、とハボックは眉を寄せて一つ深い息を吐くと、それは夜の闇に白く浮かび上がった。

「突っ込まれんのは性に合わないんで」

この男の前で下手なことを言っては面倒になるだけだ。適当に流すでもなく、飾ることもない本音を言えばヒューズは低く笑った。

「そりゃ頼もしいな。ついでに感想は」

「……」

「楽しくなかったか?」

「思ったよりは悪くなかったかと思いますけど。……でももう誘われても、男と寝たいとは思いませんでした」

「何で」

「……ケツが固かったから、スかね」

途端に男の口から大きな笑い声が上がった。
ついでに自分は大きな胸が好みなんで、と続ければ、その声は途切れずまた上がる。

「やることは一緒と言っても、身体の柔らかさだけはどうにも出来ないからな」

「……です、ね」

「どれだけ感じさせても、肝心のところは濡れてくれねえしな」

少しだけ滑らかになった会話だったが、ヒューズのその言葉にハボックは続く言葉を見つけることが出来ずに詰まってしまった。
その代わり、浮かんだのは彼の姿。
目の前に男に組み敷かれ、下肢の間に男を迎え入れるための愛撫を施されている淫らな姿だった。



その後、言葉を交わすこともなく無言で二人は歩き続け、やがてある一角に辿り着いた。
どこか垢抜けない東部の街の中でも、どこか雰囲気の違う住宅街だ。
すぐそこの角を曲がれば上司の家がある。俄かに胸がバクバクと波打ち始め、踏み出す足が強張っているのが自分でも判る。

すぐ前を行く男はそんなハボックの心中を知っているのか、結局一度も振り返らずに一軒の家の門扉を開けた。
男に続いて見慣れた扉の前に立った時、ハボックの緊張はピークに達していた。心臓が激しく脈打ち、その音が耳鳴りのように頭の中に響き渡る。

もしかしたら、自分はからかわれているのではないか?
こんな遊びを持ち掛けておいて、実は二人して自分をからかっているだけなのかもしれない。
現に、この扉の向こうで彼はハボックが情けない顔をしてやって来るのを今か今かと待ち侘びていて―――――。

トントン、と鍛鉄で出来たドアノックが二度鳴らされるのに気付いて、ハボックははっとして顔を上げた。
次いでヒューズの手によって鍵が外され、扉が開いていくのを硬直したまま凝視することしか出来ない。

ヒューズがハボックを促すように扉を大きく開くと、室内から流れ出た暖かな空気が冷えた身体を包み込んだ。