「あー……やっちまった」

男の苦笑混じりの言葉に、ハボックはぴくりと身体を震わせた。ぎこちない動きで、それでも何だと室内を窺い見る。
扉を開けてすぐに、アパートではあり得ないゆったりとした空間がまずあった。そこそこの広さを有するエントランスに、そこから続くリビング。 玄関の扉から正面に臨めるリビングのドアは開け放たれていて、室内の様子はすぐに判った。

「待ちくたびれて、一人で飲みやがった。……おい、ロイ」

呆然と立ち尽くすハボックを中に入るよう促して、ヒューズは扉を閉めると慣れた調子で施錠した。
扉の傍らに用意されていたハンガーにコートを掛けると、真直ぐに彼の元へと向かう。

「ロイ。こら、こんなところで寝るな」

扉を背に佇むハボックからも、ソファに凭れるようにして眠る男はよく見える。間違いなく己の上司だった。
テーブルには酒のボトルとグラス、アイスペールが無造作に置かれてある。恐らくは、男を待っている間に一人でそれを呷り、暖かな部屋でそのまま眠りこんでしまったのだろうが。

「……ヒューズ……」

不意に、掠れた小さな声が男を呼んだ。

「起きたか?」

「……お前、遅い……」

未だ眠りから醒めきらない、舌足らずな口調。それだけではなく相手がヒューズだと判って安心しきっているのか、その声に甘えた色が混じっているのをハボックは聞き逃さなかった。じわりと苦いものが咽喉元を込み上げる。

「悪かった。だから、ちっと起きろや」

「……眠い」

そう言って、弛緩したままの身体をまたソファに戻そうとする。

「おーっと、こらロイ。せっかくの夜だってのに、一人で寝るな」

ヒューズの言葉に、お前が悪い、と回らない舌でまた言い募って、柔らかなソファに力なく彼が沈む。
まるで大人と子供のようだと、どこか呆れつつそのやりとりを見ていたのだが。

「……ん…っ…」

「!?」

寝惚けたままのロイに、ヒューズが構わず口づけた。少し離れたところに立つハボックにも判るほどの深い口づけ。
半ば圧し掛かった男の体重を受けて、ソファがギシリと小さく軋む。

「ふ…」

角度を変えるたびに立つ水音や、ロイの唇から漏れる小さな声が静かな室内に響く。
ハボックの立つ場所からはロイの後頭部しか見えないが、ヒューズの顔が角度を変えるたびに立つ水音にこくりと咽喉が鳴った。


―――――今、どんな表情で彼は男の口づけを受け入れているのだろうか?


立ち尽くすハボックを、翠色の双眸がちらりと掠めた。無造作に眼鏡を外すと、ロイの上半身を抱え込むようにして更に深く舌を絡めていく。
意外に整っていることを知った男の手がその華奢なフレームの眼鏡をテーブルに置いて、息の上がり始めたロイの頬を柔らかく包み込む。その一連の動作を、瞬きをすることすら忘れたようにハボックは見入っていた。

「……う…」

ヒューズの手が膝立てたロイの腿をゆっくりと這い始めると、彼の唇から漏れる吐息の色に甘さが増した。確かに低い男の声であるのに、微かに漏れる抑えた声はハボックの欲情をひどく煽る。

膝を丸く撫でて、その裏へ。腿を上下に撫で回し、時折悪戯のように脚の付け根にその手は降りていく。
ロイの手が伸ばされ、ヒューズの手首を掴んだ。悪戯な手を止めようとしているようにも、行為の続きを促すようにも見える。

嘘だろう、とハボックは知らず頭を振っていた。



こんなのは知らない。
こんな彼は知らない。
傲慢で、我儘で、まるで子供のように自分勝手に振る舞う上司のこんな姿は知らない。




這っていた手はそのまま彼のズボンにかかり、下着ごとゆっくりと下していく。
男の進めていく行為に躊躇う素振りもなく、腰を上げて協力するロイの姿に眩暈がした。

「うわ…!」

ソファから引き摺り下ろされたロイが小さく声を上げたのに、ハボックの肩がぴくりと揺れた。

「悪い。狭くて駄目だ」

演技ではない、ヒューズの声も少しばかり上擦っている。耳元で囁かれて、目を閉じたロイの身体がぴくりと跳ねた。
そのままチュ、と音を立て目元に口づけを落としながら、男の手がロイの脚を大きく広げさせる。それも、挑発するようにハボックの方へ向けてだ。

「……っ…!」

はっと息を飲んで、ハボックはぎくしゃくとした動きで手を口元にあてた。
何度となく飲み込んだ唾をまたこくりと嚥下する。
見せ付けるように開かれたロイの下肢から目が離せない。

適度に筋肉のついた脚は紛れもなく男のものだったが、軍人としては細身だ。
だが白い肌に、髪の色と同様の黒い下生えがひどくエロティックにその目には映る。
大きく広げられた下肢の間で緩く勃ち上がった彼自身と、そのすぐ下の袋が男の手の中でいいように弄られている光景はたまらなく淫猥だ。

ヒューズの手が嬲るたびに、ロイの唇から快楽の吐息が耐え切れずに零れ、男の手の動きに合せるように小さく腰が蠢いている。

誤魔化しようのない昂りがハボックの下肢を貫いた。

「う、ん……」

快感に目元を染めて、ロイが男の頬にまるで猫のように顔をすり寄せる。
首を捻って必死にキスを強請る彼の仕草は安心しきっているようにも思えて、ギリ、とハボックは知らず唇を噛み締めていた。



こんなに近くにいるのに、どうして気付いてくれない?
自分はここにいて、あんただけを見ているのに?



自分でも理不尽だと、この感情を彼に抱くのは見当違いだと判っていても、怒りはハボックの胸に次々と込み上げてくる。



俺はあんたの為なら何だってする。いつだってあんたの言葉だけを待っているのに。
どうして、あんたは俺に気付いてくれないんだ?

俺は、いつだってあんたの傍であんたを見ているのに。
今だってあんたのすぐ傍にいる。


気付いてよ。

気付いてくれよ……!!






「ロイ。目を開けろよ」

ヒューズの声にハボックの意識が戻された。
嬲る手を止めない男に、ロイがその意図を汲めずに頭を振る。

「目を開けろって。……今日は少し面白い遊びをしようと思ってるんだ」

「……?」

訝しそうに、ロイの眉根が寄せられた。
だが幾度か目蓋を震わせた後、まだ快楽に浸りぼんやりとした様子のままゆっくりと双眸が開かれていく。酔いも手伝ってか、まだはっきりとしない視界に瞬きが繰り返された。

「……ヒューズ……?」

そこで漸く違和感に気付いたようだった。
男の名を訝しげに呼んでから、視界の端に他者を捉えてロイの身体がびくりと強張る。
身体を強張らせたまま、それでもすぐに自分へと向けられた彼の黒い双眸をハボックは正面から受け止めた。

「……な……!?」

明るい金の髪に、深い空のような青い瞳。均整の取れた長身は、下から見上げれば更に高く見える。
間違いない。

数メートル先に立つ男が自分のよく知る部下だと認めると、ロイの双眸がこれ以上ないほどいっぱいに見開かれた。

「何、で……」

お前が、という言葉は声にならず、ただロイの薄い唇だけがそう動く。
漸く自分の存在に気付きゆっくりと驚愕に見開かれていく切れ長の双眸を、ハボックはどこか冴えていく頭で見つめていた。



親友である男にいいように翻弄されて、快楽に浸りきっている姿を部下に晒して。
あんたは今、何を思っている?



「俺が誘った」

「ヒューズ…!?」

掠れた声で、信じられないことを告げた恋人を無理な体勢でロイが振り返る。

「来いよ。少尉」

男の言葉が止めとなった。

息を飲み、制止の声すら上げることを出来ずにいる彼に向かって、ハボックはその足を踏み出していた。