|
ベッドルームへ場所を変えても続けられた狂宴は、夜明けを前にしてようやく終止符が打たれた。 ハボックはシャワーも浴びずにボトムとシャツを身に着けると、ベッドからやや離れたところに椅子を置いた。そこに浅く腰掛けて、広いベッドに一人沈む彼をただじっと見つめ続ける。 シーツだけはあの男が換えていったが、室内にはまだ情交の匂いが色濃く残っていた。彼と、あの男と、そして自分の体液が混ざった独特の噎せるような匂い。しかし換気をしたくても、彼が眠るこの部屋を冷やす訳にはいかない。 ちらりとすぐ傍にある窓に目を向けてから、ハボックはまたベッドの方へと視線を戻した。 いいように嬲られ、疲れきったようにベッドで眠る彼の泣き腫らした目元が痛々しい。 どうしてあんなことが出来たのか。 行為を終えてから、何度も自身に問うたことだ。けれどあの場にもう一度戻れたとしても、きっと自分は同じ選択をしてしまうだろう。 ハボックは頭を振りながら長く息を吐き出し、自身の膝に腕をつくと両手で顔を覆った。 「……っ…」 その時小さく聞こえてきたその声と衣擦れの音に、はっとして目を開く。 丸めた背を起こし、半端に腰を浮かしかけた格好でベッドの方を凝視する。淡いクリーム色のブランケットの小山がごそりと動いた後、ロイがゆっくりと上体を起こすのが見えた。 泣き腫らして赤く染まる目元と、そこにかかる乱れた黒髪の対比が綺麗だと思わず見惚れる。そしてこの期に及んでまでそんなことを考える自分に心底嫌気が差した。 身を起こした拍子に身体が痛んだのか、彼の顔が僅かに歪む。 その彼がふと、まるで呼ばれたように真直ぐにハボックへと視線を向けた。 「……!」 真正面から視線が絡み、息を飲む。 何かを言わなければ。そう思うのに言葉が出てこない。真直ぐにこちらを見つめる彼からは何の感情も読み取れず、ハボックの焦りに拍車を掛ける。 謝罪の言葉すら口にすることも出来ずにただ呆然と、身体を強張らせたまま彼を凝視していたが、その彼がふいと視線を外した。 全裸のまま、しかしそれを気にする様子もなく彼はベッドを降りるとハボックの方へと真直ぐに歩を進める。 だが二人の男に蹂躙された身体が完全に回復することはなく、ロイの足取りはどうにも覚束なかった。今にもその場に蹲ってしまいそうな姿にハボックは慌てて彼に駆け寄ると、無意識の内に手を伸ばす。 「大……」 大佐、と口にするよりも早く、ハボックの頬にロイの拳が叩き込まれた。 「…ッ…!」 ガツ、と乾いた音を立てて打ち込まれたそれは、ふらついていた彼から繰り出されたものとは思えないほどの衝撃があった。 頭の芯がブレて視界が揺れ、目の前には火花が散り、脳髄を直撃する鋭い痛みで一瞬息が詰まる。 後ろに転がりかけたのを踏鞴を踏んでかろうじて持ちこたえると、狼狽えたように彼に視線を戻そうとした。だがそこへもう一度容赦なく頬を張り飛ばされ、ハボックは今度こそ派手な音を立てて尻から床に転がった。 目の前に立つ彼を見上げようとして、鼻腔の奥から込み上げて来る温かな感触に咄嗟に手をあてる。しかしそれは間に合わず、溢れ出た鮮血がぼたぼたと床に零れた。 彼の部屋を自分の血で汚してはいけないような気がして、零れ落ちてくるものを必死で押さえながら顔を上げる。 「大、佐」 咽喉が絡んだような不明瞭な声で、冷たく自分を見下ろす彼を呼ぶ。 「気は済んだか?」 常になく低い、しかし酷く掠れた声で彼が問う。 「……」 「お前の気は済んだのかと訊いている」 言葉と共に襟元を掴まれ、乱暴に引き上げられた。 鼻を押さえたまま膝立ちになり、息が触れ合うほどに引き寄せられて真正面から合わさったロイの双眸に、ハボックはぞくりと背筋を震わせる。 今までに一度として見たことのない、昏く深い怒りに光る瞳。咽喉元に喰らいつき、容赦なくその肉を引き千切っていくような獰猛な怒りの色がそこにはあった。 「大佐」 背筋を這い上がってくる恐怖に、無様に震えた声だけがハボックの唇から漏れる。 彼のこんな目は知らなかった。 自分にはもちろん、どんな事件ですら見せたことのないその瞳が恐ろしかった。 その時カチャ、と小さな音を立てて背後の扉が開いた。 ロイが視線を上げるのにつられて、ハボックもぎこちない動きで背後を振り返る。 シャワーを浴びてきたばかりらしく、濡れた髪をバスタオルで拭きながら男が部屋に入ってきたところだった。 前髪が額に落ち、それを鬱陶しそうに掻き上げるとシャツのポケットから眼鏡を取り片手で広げてそれを掛ける。 「目が覚めたのか」 男はロイを、そしてハボックを見て何かを言いかけたが、その場に漂う雰囲気に口を開きかけてまた閉じた。 ふ、と襟元を締め上げていた力が急に緩んだのに、ハボックははっとして視線をロイに戻して、またぞくりと身体を震わせた。眇めるように細め、先程よりもさらに強くなった昏い光を宿した双眸で、ロイが男を見据えていた。 そしてその双眸の鋭さよりも、ロイの全身から噴き出すように発せられた禍々しい気配がハボックの全身を慄かせる。 ――――同じだ。 知らずこくりと咽喉を鳴らして、彼を見つめた。 ロイから発せられるその気配は、ハボックが畏怖したヒューズのあの気配と全く同じものだった。 ふらりと、まるで目に見えない糸に操られているかのように、ロイがヒューズに向かって足を踏み出す。 男は無言のままロイが近付いてくるのを待っていたが、次の瞬間、ガツ、とハボックの頬に叩き込まれたものよりも更に重い音が室内に響き、ヒューズの身体がすぐ背後のドアに打ち付けられた。その激しい衝撃に男のトレードマークでもある 華奢なフレームの眼鏡が吹き飛ばされ、一度跳ねてから床を滑ると壁にぶつかってようやく止まる。 砕けたレンズの小さな破片が光を反射し、ハボックの目を射した。 「……ってぇ…」 ヒューズは身を折り痛みに顔を歪めていたが、すぐに口端の血を拭うとロイに対峙するように向き直った。 そこへまたロイの拳が振り上げられる。 しかし今度はそれが頬を穿つことはなく、その寸前で男の手によって止められた。男が彼の腕を掴む音がパシ、と小さく響く。 「これ以上は勘弁してくれ。グレイシアに余計な心配はかけさせたくない」 「……!」 振り上げた腕を捕らえられた格好のまま、ロイの頬にカッと血が昇る。 そしてそれは、充分避けられた最初の一発を正面から受け止めた男を瞬きもせず凝視し続けていたハボックにとっても同様だった。 今ここで、よりにもよってその女性の名前を出すのか。 この場で、それも彼に対してその名を出す男の卑劣さに憤りは隠せない。 「いい子だな」 怯んだ彼を引き寄せ、その髪に男が口付ける。 「離せ…!」 掴まれた腕を振り解こうと身を捩るロイを、男は尚も拘束していく。 唇は額にも落とされ、更に柔らかな頬、小さな鼻先、唇へと重ねられていく。抱き寄せる腕からも宥めるような柔らかい口付けからも逃れようとロイが何度も身を捩るが、男は執拗に、そして巧妙にそれらを全て封じていった。 「ヒューズ…!」 「判ってる」 「何が……!」 短い言い争いの後、根負けしたのかロイがそれを拒絶する様子は薄れ、先程まで痛いほどに発せられていた禍々しい気配も影を潜めていく。 「いい子だ、ロイ」 男が口付けを繰り返し抱き締める力を強めると、もう彼が抗うことはなかった。 ハボックに見せた獰猛な獣の気配はすで微塵もになく、その名を出された途端に力を失くし、諦めたように伏せられた瞳がただ痛々しい。 それでも、男のいいように懐柔されてしまう彼への失望は隠せなかった。 |