身体の節々がひどく痛む。

「…ッ…!」

食いしばった歯の間から漏れそうになる呻きを堪えて、エドワードはギシギシと悲鳴を上げる自身の身体を守るようにベッドの上で蹲った。
しかしそれで痛みが治まる筈もなく、ただ幼い子供のように膝を抱えてそれが過ぎるのを待つしかない。
そのことが腹立たしくて、特に強い痛みを訴える自身の膝を拳で何度も打ち付けた。

今日はひどく疲れていて、ベッドに入ってすぐに眠りに落ちた筈だった。
身体の痛みに意識が浮上してきたのはそれからどのくらい経ってからなのか。いまだ完全には覚醒しきれていない上、痛みで朦朧としていることもあり、どれだけ自分が眠っていたか 時刻を確認出来ていない。
だが外はまだ暗く、夜明けの気配はないようだった。

「っ……」

痛みに詰めていた息を吐き出して、強張っていた身体をゆっくりと弛緩させた。

最近はこうして身体の節々が痛み、眠れない夜が幾度も訪れる。
骨の内部から穿たれるようなその痛みは鈍いものでありながらも、静かな水面に水滴が落ちて出来る波状のように全身へと広がり、エドワードを苦しめる。

物音一つしない暗闇の中で薄目を開けていたが、もう暫く我慢すれば再びやってくる睡魔を逃さないようにと、大きく息を吐いてからエドワードは瞳を閉じた。
眠ってしまえばいい。
夢も見ないくらいに深く眠ってしまえば、僅かな時間でも楽になれる。


アルフォンスを失った絶望感と、孤独と、罪悪感に苛まれずに済む。


しかし自分の肉体はそれを許そうとしないかのように痛み、眠りを妨げ意識を浮上させる。

「くそ…!」

唸るように吐き捨て、エドワードは汗の滲む顔を枕に埋めた。

弟を失い、自分だけが手足を取り戻したあの日から、今まで止まっていた分を取り戻すかのようにそれは一気にやってきた。
覚えのない痛みが身体を貫くたび、間違いなく手足が伸びていく。今まで着ていた服が入らなくなり、この一年で何枚捨てただろう。目線の高さも変わった。知り合いと肩を並べれば、そのことが確信となりもした。

「……」

そこまで考えて、エドワードは自身の咽喉元に手を当てた。声もそうだ。以前に比べて、少し低くなっているのが自分でも判る。
食いしばった歯が、ギリと耳障りな音を立てた。

「こんなこと、望んでなんか…!」

自分だけが成長していることが後ろめたい。
弟を助けることも出来なかった自分が、のうのうと生き永らえていることが許せない。
夜毎訪れる身体の痛みは、そのことをエドワードだけでなく弟も責めているからだと錯覚させる。

「俺が…!」

アルフォンスを失うくらいなら、自分が消えてなくなってしまえばよかった。

もがくようにシーツを握り締め、エドワードは汗が伝う額をさらに強く枕へと押し付ける。

「返せ!返せよ!」

弟を返してくれ。
頼むからアルを返してくれ。

「頼むから返してくれよ……!!」

朦朧とした意識のままで、それでも堪え切れなかった絶叫が咽喉から迸った。

「返せよ…!返せ…!」

うわ言のように繰り返し、全身を震わせながら身を縮める。

「どうした!?」

バタバタと慌しい足音が近付くと、低い男の声と共に部屋のドアが乱暴に開けられ、すぐに部屋の明かりが灯された。 痛みと覚醒しきれない目を何度も瞬かせて、エドワードは傍に歩み寄ってくる男にピントを合わせる。
ふらつきながら起き上がると、その拍子にいつの間にか溜まっていた涙が頬を伝ってぼたぼたと零れ落ちた。

「…っ…!」

男が僅かに目を見開くのに、エドワードは慌てて目元を乱雑に拭った。
しかし後から後から溢れてくるそれに戸惑い、拭いきれずに思わず顔を伏せてしまう。

「鋼の」

泣き顔を見られてバツの悪い子供が目を合わせられないのを知ってか、男がらしくなく優しい声で呼びなれた名を口にする。
そのらしくない様子に笑いたいのに、気持ちに反して泣きそうに顔が歪んでいくのが情けなかった。
深呼吸をしてもう一度思い切り目元を拭うと、エドワードは今度こそ大丈夫だと肯いて見せる。

「……騒いでごめん。あちこち、骨が軋んで痛むんだ。だから眠れなくて、つい苛々しちまって……」

「骨?どこか痛めたのか。医者には見せたのか?」

男の問いに緩く頭を振る。

「怪我とかそんなんじゃねえから」

そう言うと、ああ、と合点したように男は肯いた。
再会した時にエドワードの急激な成長ぶりに驚いた男には、その意味がすぐに理解出来たようだった。

「何か飲み物でも持って来るか?」

それまで黙ってロイの背後に控えていた男に訊ねられて、エドワードはゆっくりと視線を流した。
眼鏡の奥にある青い目を細めて自分を見つめてくる、記憶にあるものと全く同じ顔。そして同じ声。

「……大丈夫だよ。起こしちゃって、本当にごめん。ヒューズさんも大佐も、いいから寝てよ」

努めて明るく振る舞ってみせたが、ロイは溜め息をつくと頭を振った。

「ヒューズ。お前は先に休んでいてくれ」

そう言ってロイが男を振り返ると、二人だけで話したいことがあるのだろうということをすぐに察した彼は、小さく肯くとエドワードに「おやすみ」と微笑って部屋を出て行った。
片足を少しだけ引き摺っていくその歩き方に、まだ彼が完全ではないことをエドワードに教える。

扉が完全に閉じられると、ロイはエドワードから少しだけ距離を置いてベッドに腰掛けた。
先程の理由で引き下がってくれるとは思っていなかったが、これから展開されるであろう会話を考えると気が重い。

「嫌な夢を見たのか」

「……身体が痛むと、特にひどい」

逃げても嫌な会話が延びるだけだと覚悟を決めて答えると、男はそうかと低く呟くだけで後は口を閉ざしてしまった。
何だ。
話がないならとっとと一人にしてくれよと思わなくもなかったが、ロイが何か言葉を探している気がして、エドワードもまた黙り込んでしまう。

ふと、ベッドについたロイの手首が目に入った。
ボタンを留めていない袖から覗く細い筋の浮いた白い手首に、思わず誘われるようにして手を伸ばす。そっと包み込むと、男は驚いたように振り返った。

「……思ったより、細くない」

ぽつりと呟くと、男は眉を寄せて笑う。

「誰と比べているのか知らんが、元は軍人だ。君よりは太いだろうし、力もあるさ」

男が何気なく吐いた言葉が癪に障った。
掴んでいた手首に力を籠め、もう片方の腕を背後から胸に回すと男の身体をベッドの上へと引き上げる。

「え、あ、おい…!」

無理な体勢から立て直すことが出来ずにまんまと仰向けに転がされたロイの身体に馬乗りになり、両手首をベッドに押さえつけてしまうと、エドワードはにやりと口角を引き上げて見せた。

「何慌ててんだよ。俺より力があるんだろ?」

「……!」

ムッとしたように下から睨みつけてくる男に構わず、押さえつけた手首に更に力を加えていく。

「……っ…!」

「細くなくたって、このくらい簡単に折ることは出来るぜ。機械鎧じゃなくたって、さ」

「……判ったから、少し緩めろ。本気で痛い」

顔を顰めて言う男にエドワードは悪びれもせず笑いかけ、要望通り力を緩めたがそこを退くことはしなかった。
代わりに笑顔を引っ込めると、両手をロイの身体に這わせ始めた。

「おい…?」

怪訝そうな男を無視して、女とは違う硬い身体をなぞっていく。

「何を…」

「ヒューズ中佐。記憶、蘇ってきてんの?」

その問いと同時にぴくりと跳ねた彼の身体は、胸の突起への刺激に対してなのか、それともエドワードの問いに対しての反応なのかは判らなかった。

「肉体はまだ不完全だろ。足が硬い。目もそうだ。眼鏡をかけても、まだぼんやりしてクリアに見えない。だから目を細めるのが癖になっちまってるんだ」

「……ああ」

「中佐、勃つの?」

「!」

下世話な疑問に、ロイの表情が険しさを増す。

「その顔じゃまだ無理ってことか…。そんじゃアンタ、最近セックスしてないんだ。せっかく中佐が傍にいるってのに」

「……君はそんな下らないことが知りたいのか?」

怒りと呆れの混ざる声音に、エドワードは苦く笑った。

「……抱いていい?」

「私をか?趣味が悪いな」

「アンタでちょうどいいんだよ。痛みを紛らわせたいだけなんだから」

不愉快そうに顔を顰めたが、唇を重ねても抵抗しない男に満足して、エドワードは久し振りに他人と肌を重ねる快楽に没頭していった。













「……あれだけ愛していた妻と子供のことすら、思い出していない」

不意に呟かれた言葉に、情事後の気怠さに目を閉じかけていたエドワードはゆっくりと彼を仰ぎ見た。

「私の名前も、時折判らなくなることもある」

「……」

「前の晩に私と普通に会話をして、私の名前も呼んでいたのに、次の朝になるともう判らないんだ」

男は抑揚のない声で告解を続けていく。

「……私のことを忘れてしまう日が来るんじゃないかと思うと、恐ろしくて眠れない」

憐れだとエドワードは瞳を閉じた。
人体練成は神の領域だ。真似事は出来ても、完全に造り上げることは所詮無理なのだと、幼い自分は容赦なく思い知らされた。
それをこの男は知っている筈なのに。

「……鋼の?」

そっと囁くように訊ねる男の顔は見ずに、ゆっくりと優しい手つきで髪を梳いてやる。
愚かで、憐れな男を慰めるように。

「……君が優しいと、不気味だな」

「アンタが俺に優しいのも不気味だよ」

いつか必ず、この憐れな男は大切な存在を二度失うことになる。
泣いても喚いても、この世の全てを憎んでもそれは確実にやってくる。

「……自業自得だ」

「何?」

意識せずに口に出してしまっていたらしい。
怪訝そうな男に返事はせずに、エドワードはただゆっくりと柔らかな黒髪を梳き続ける。

自業自得だ。
その時が訪れても、自分はこの男を醒めた目で見下ろすだけだろう。

けれど、この男のそんな姿は見たくないと思う自分がいるのも確かだった。
大切な存在を失って絶望する姿は見たくない。

「済まない。もしかしたら、起こしてしまったのかな」

自分の考えに耽っていたエドワードは、不意に耳元を擽った声と背中に回された手に意識を引き戻された。
背に回った手が、まるで駄々をこねる子供をあやすように数回叩く。

「……あのさ。もうガキじゃねえっての」

顔を埋めたまま憮然として呟くと、男が咽喉の奥で笑うのが振動で判った。

「いいから眠れ」

そう言って手繰り寄せた毛布を適当に掛けると、男はさっさと眠りについてしまったようだ。
数分後には聞こえてきたゆったりとした寝息に、ありえねえとひとりごちて身を起こそうとしたが、彼の体温が離れてしまうのが心許なくて結局はそのまま目を閉じた。
重ねた胸から響いてくる穏やかな心音が、まるで子守唄のようにエドワードを眠りの淵へと誘っていく。


身体の痛みはいつの間にか治まっていた。