「……アイスコーヒー。氷、多めで」

フードですっぽりと顔を覆い隠したまま、エドワードは愛想のない声で店主に注文をするとカウンターにコインを置いた。
相手も、そしてすぐ傍にいた男たちも会話を止めて胡散臭そうにエドワードを一瞥したが、構わずにもう一度同じことを告げると店主はすぐにピックを手に取り氷を砕き始めた。
注文通りに氷を多めに入れてその上から煮詰まったようなコーヒーを注ぐと、ストローと一緒にエドワードへ差し出す。
それを無言で受け取って、適当に並べられた席の一つに腰を下ろした。

顔を覆うフードを退けることもせず、人々の視線を避けるよう俯いたままゆっくりとグラスを回して、氷が解けていくのを促していく。

今夜はさすがにどこか宿を取った方がいい。もう何日も風呂に入っていないし、この町は土埃が多くて身体中の至るところがバサバサだ。
小さな町だが宿くらいはあるだろう。地図を鞄から取り出そうと屈みかけたところで、ふと斜め向かいに座る男と目が合った。
慌てて目を逸らす男にエドワードは白けた視線を向けて、脇に置いた鞄に手を伸ばすとボロボロになった地図を取り出した。
ここから西に1キロばかり行ったところに宿があるのを確認すると、ペンで印をつけてまた鞄へと戻す。古い情報で目的のものがない場合もままあったが、それでも他人に宿の場所を訊くよりはましだった。

すっかり氷の解け切ったコーヒーに口をつけると、歩き通しで疲れた身体に冷たいそれは心地良く流れ込んでいく。

傍らでは馴染みの客らしい男たちと店主が他愛のない会話を続けていて、エドワードは無意識の内にその話に耳を傾けていた。

「そういやあの焔の錬金術師とやらは見つかったのか?」

不意に入ってきた言葉に、エドワードの目が眇められた。

「いや、まだ判らないみたいだ。まあ新体制の政府の中にはあの男を戦犯として裁いてやると鼻息荒くしていたヤツもいるらしいし、国外逃亡でもしちまってんじゃねえかって話だけどな」

「イシュヴァールの責任をなすりつけようっていうアレか?」

「らしい。まあ、それはあの男だけじゃなくてあの殲滅戦に加わった錬金術師が問われているみたいだが……」

彼らの会話を聞くともなしに聞いたまま、一点だけをぼんやりと見つめてエドワードは数ヶ月前に立ち寄った中央司令部でのことを思い出していた。










「おいお前、どこへ行くんだ?」

中央司令部入り口を潜ろうとして、傍らに立つ憲兵に呼び止められて面倒臭そうにエドワードは振り返った。
適当に束ねていた髪が解けて顔にかかり、眉を寄せてそれを払う。

「マスタング大佐のとこだけど」

「……名前は?約束でもしていたのか」

横柄な憲兵の態度に苛立ちながら名前を名乗り、約束はしていないと答える。

軍から主権が新たに設立された政府機関に移行した後、中央司令部及びそれに属する全ての組織は新政府の監督下に置かれていた。 国家錬金術師の資格は現在の政府では認定されておらず、かつては通行証となった銀時計も今では何の意味も持たない。
必要な手続きを行わなければ入ることも出来ない自分の立場に、エドワードは内心で舌打ちした。

「エドワード・エルリック……。ああ、国家錬金術師だったガキか」

態度と相応しく言葉遣いも不愉快な男にムッとして、いらぬ負けん気を起こして何かを言い返そうとした矢先に、予想もしなかったことを告げられて瞠目した。

「ロイ・マスタングならもういないぞ」

「え?」

「表向きは退役となっているが、実際は執務もそこそこに部下を連れて逃亡だ。……新聞も見ていないのか?」

そんなものは見ていなかった。信じられないと顔を強張らせて頭を振るエドワードに、男は一瞬だけ同情するような目を向ける。

そのまま関係者の許可がなければ通す訳にもいかないと門前払いを喰らいかけ、エドワードは慌ててブレダの名前を出し取り次いで貰うことで、何とか司令部内へ入ることが許された。



「驚いただろ。何かもうどこもバタバタしちまっててな」

相変わらず体格のいい男は唇をやや尖らせて、やれやれといった様子で息を吐く。
司令部内は新政府から出向してきた監査員らしいスーツ姿の男が混ざり、人々は忙しく動き回っているようだった。建物全体が何だか落ち着かない雰囲気に包まれている。

「大佐、どこ行っちまったのか本当に判らねえの」

「判らんな。大佐も、中尉も」

「……やっぱ大佐が連れてったのって、ホークアイ中尉か」

人気のない廊下まで来て、エドワードは窓枠に肘を着いた。

「あちこち、それこそ四方を探しまくった。でも見つからないし、情報提供も殆どない。大佐の顔は東部と中央の一部には知られていても他じゃ判らないだろうし、軍も政府も今は本気で探すつもりはないみたいだからな。ただ……」

そこまで言って、ブレダは周囲に人気がないのをもう一度確認して壁に背を預けた。

「ただ、危惧されているように戦犯として指名手配をされてしまえばどうなるか判らない。もちろん、そんなことになる前に手は打つつもりだが……」

「ちょっと待ってくれよ。戦犯?どういうことだ?」

聞き捨てならない言葉にエドワードの眉が寄せられる。

――――あの男が戦犯として指名手配だって?

「イシュヴァールの責任は作戦に加わった国家錬金術師にもある、ってさ。まあ、都合のいいスケープゴートか、厄介払いといったところか……」

「でも…でもさ、中尉が一緒なんだろ?なら大丈夫なんじゃないの?あの人が何とか…」

それでも楽観的に考えようとするエドワードに、ブレダは神妙な顔つきのまま首を横に振った。

「あの人は俺たちの中で最も大佐の近くにいて、最も妄信的に付き従っていた人だ。大佐が死ねと言えば、その場で自分の頭を撃ち抜いちまうくらいにな」

「……」

「……大佐の精神がギリギリの状態にあることは俺も判ってた。俺でさえ判ったんだから、中尉はあの人のもっと深い部分まで理解していたんだろう。だから、どんどん大佐に引きずり込まれていっちまった」

初めて訊く内容に、エドワードはゆっくりと隣に立つ男に視線を向ける。

「傍で見ていたのに、どうすることも出来なかった。挙句がこれだ」

「……」

知らなかった。
あの男がそこまで追い詰められていたことも、彼女との絆も。

「そう言えばハボックには会ったか?」

黙り込んでしまった自分を気遣ってか話題を変えようと明るい口調になるブレダに、エドワードも努めて明るい表情を見せた。

「もしかして兵役復帰したの?」

期待を込めて訊き返したが、それにブレダは頭を振る。

「そのことについてはもう医者から絶望的だと最後通告を受けて、本人も諦めてる。だけど車椅子に頼るが、日常生活を送るには不自由ない程度まで回復してるんだ。家族と中央へ小旅行だとかで、今日はここにも顔を出してる」

「そっか」

そう返事をしつつ、エドワードは無意識に自身の右腕に触れていた。
血の通う温かな腕。それが人の身体として自然な形であるというのに、エドワードを罪悪感で苛み続ける。

「……それじゃ俺、もう行くよ。大佐のことは俺もなるべく情報を集めるようにする。何か判ったらブレダ少尉に連絡するから」

思ってもいないことを口にするのも上手くなった。ブレダは気付く様子もなくエドワードを信じて肯く。

「おお、頼んだぜ。…あ、あと帰る前にハボックの奴に顔見せて行ってくれ、多分そこら探せばいるから。大将にも会いたがってた」

「判った」

「勝手を言って悪いが、大佐たちの話は抜きで頼むな」

「……」

そう言って、ブレダは片手を上げるとその場を去って行った。恰幅のいい男の後ろ姿を見送ってからゆっくりと目を伏せる。
正直なところ、ハボックには会いたくないというのが本音だ。彼の姿を見てしまえば、自身を苛み続けるこの痛みは強くなってしまう。

「……返し損ねちまった」

チャリ、と小さな音を立てて懐から銀時計を取り出す。これを返すことで、自分の中で一区切りをつけたかったのだが。

「……行くか」

このままここを後にしてしまった方がいい。
ふうと息を吐くとエドワードは鞄を持ち上げ、見知った顔を避けながら出口を目指した。




「大将!おーい!」

広場を横切って近道をするつもりが、明るい声に呼び止められてエドワードは失敗した、と顔を顰めた。今は最も避けたかった人物の声だったからだ。
それでも無視して行くことも出来ず、エドワードは背後から近付いてくる気配を感じながら振り返った。

「……久し振り。ハボック少尉」

「少尉じゃねえよ。いやでも久し振りだなあ。すっかり男っぽくなっちまって、一瞬誰か判らなかった」

人懐こい笑顔を浮かべて、ハボックが車椅子を慣れた調子で漕ぎエドワードの元まで辿り着く。
明るい日差しの中で彼の淡い金髪が反射するのを、エドワードは無言で見つめていた。

「ブレダたちから話は聞いてたんだけど、本当に手足を取り戻したんだな。……すげえよ、本当に」

エドワードを頭の先から爪先まで改めて見ると、眩しそうに目を細めて男が言う。
彼の口調に一人だけ元の身体を取り戻したエドワードに対する批難の色はどこにもない。ただ純粋に、まるで自分のことのように喜んでくれているのが判る。
判るからこそ、余計に辛かった。

「でも思ってたより元気そうじゃん少尉」

「だから少尉じゃねえって。皆してそう呼ぶんだよな」

苦笑してみせる男に、エドワードも何とか以前のような雰囲気を取り戻したくて声を立てて笑って見せる。だがそれは虚しく響き、却って二人の間にぎこちない空気を落とす結果となってしまった。

首も、手足も、胴回りも、どこもかしこもがっしりとしていたあの頃とは違い、一回り以上は細くなってしまったハボックの姿に思っていた以上の衝撃を受けていた自分に気付かされる。エドワードは堪らずに顔を伏せた。

「今日は大佐に会いに来たんだろ?」

「……ああ、まあね」

「あの人ならホークアイ中尉連れてどっか行っちまったらしいぜ。…って、もう知ってるか。ブレダたちには会ったんだろ?」

「……あー…、うん、まあ。少しだけ」

避けなければならない話題だったが、相手から振られた以上は無理にはぐらかす訳にもいかない。
だがどうしても歯切れが悪くなる返事に、ハボックはエドワードの心中を察しているように首を横に振って笑った。

「まったく碌でもねえよな。人には追いついてこいとか言っておいて、自分はどっかに隠れちまんだから」

「……ん」

彼にどんな言葉をかければいいのか判らなくて、気の効かない相槌しか打つことが出来ない。
エドワードもハボックも、互いに言葉を探すように黙り込む。


――――だから、会いたくなかったんだ。


「……俺は」

やがて聞こえてきた小さな呟きに、エドワードははっとして顔を上げた。

「俺はあの人に捨てられちまったのかな」

「―――……」

泣き出しそうに顔を歪めて笑うハボックに、ぎゅ、と拳を握り締めて強く頭を振る。

「……んな訳ねえだろ。いくらあの馬鹿大佐ったって、何か理由が」

「それでも中尉は連れて行った」

「それは……」

「大佐にも、中尉にも捨てられた」

「違う」

「結局、俺は……!」

車椅子の肘台を震えるほど強く握り、顔を真っ赤に染めてその身を突き上げる激しい憤りを必死に耐えようとするハボックに、幾度か躊躇うように右手を握り直してから、エドワードは震える彼の背にその手を添えた。

「待ってろよ、少尉。俺があの野郎を見つけ出して、必ず少尉たちの所へ連れ戻してくるからさ」

「…っ…」

「絶対、見つけ出してみせるからさ。だから……」

肘台を握る手に顔を伏せて嗚咽を漏らすハボックの背を何度も擦り、エドワードはただ同じ言葉を繰り返した。

彼を勇気づける言葉一つ持たない自分が、ひどく情けなかった。










「それなんだけどさ。俺、もしかしたらそいつを見たかもしれねえ」

ピクリ、とテーブルに放り出されたエドワードの手が揺れた。回想に沈んでいた意識が一気に現実へと引き戻される。

「愛想のない男で、同じように愛想がなくて金髪で目元のきつい、結構いい女と一緒に暮らしてた」

しかも胸がでかいと下品な笑みを浮かべて、男は手振りでこんなだ、と誇張して話を続ける。

「小さな町だから新参者はすぐ話にのぼるんだが、誰かがその男を国家錬金術師だと言っていて」

「そりゃもしかしたら本人かもしれねえぞ。なんたって腹心の部下で恋人と噂される女と一緒に姿を消したらしいからな」

「なあ、それって政府のお偉いさんに通報した方がよくねえか?謝礼とか、何か少しは貰えるだろ」

そうだと一気に色めき立つ周囲に、しかし男は考え込むような素振りで顎に手を当て首を傾げた。

「はっきり懸賞金がかかっているならそうするけどよー…。面倒だってのもあるし新政府にはまだ不信感もあるし、そもそも違ったら後味悪いじゃねえか」

「ああ、まあ……」

「それもそうだな」

盛り上がりかけた男たちは残念そうに肩を竦めたが、またすぐに話の続きを促した。

「幽霊屋敷とかって呼ばれる古い家があったんだが、そこにいきなり住み始めたって話だ。だけど二人じゃなくて三人らしいんだけどな」

そこまで聞いて、エドワードの双眸が俄かに険呑な光を帯び始めた。

「三人?そいつらのガキってことか?」

「いや、大人の男だ。俺も後ろ姿だけしか見たことねえんだけど、割と背は高めで黒髪の男。身体が弱いらしくて滅多に外に出てこないってんで、町の人間で見たヤツも殆どいない。 とにかく陰気なヤツらで、町の連中も―――」

ガタン、と勢いよく椅子を蹴り立ち上がったエドワードに、男たちの会話がぴたりと止んだ。視線が一斉にエドワードへ集められる。

「……そいつ、どこで見たって?」

薄ら笑いを浮かべて自分たちを見据えるエドワードに、男たちは身動きひとつせずに唾を飲み込んだ。