|
カーテンを開ける乾いた音と、ほぼ同時に差し込んできた光で目が覚めた。 「……おはよう」 枕に顔を半分埋めたまま掠れた声で挨拶をすれば、窓際に立つ人物が振り返るのが判る。 「おはようございます、ヒューズ中佐」 落ち着いた女性の声で挨拶が返ってくる。肩で揃えられた金色の髪と、意志の強そうな大きな双眸。薄い化粧を施しただけだったが、はっきりとした顔立ちにはそれで充分なようだった。 彼女は毎朝、声をかけるよりも先にこうしてカーテンを開けて日の光を部屋に取り込んでから、自分に向かって『ヒューズ中佐』と、それがあなたの名前だと言い聞かせるように必ずその名を口にする。 そしてその後に「私の名前が判りますか」とも。 「……リザ・ホークアイ中尉だろ」 ここで目を覚まして以来、自分を起こす役目らしい彼女と毎日繰り返されるやりとりだ。 そのことにうんざりして、つい素っ気なくなる口調にも彼女が気を悪くする様子はない。ただ無表情で「恐れ入ります」と返すだけだ。 「食事の支度も出来ています。起きられますか?」 「ああ。大丈夫そうだ」 そう返事をすれば、ホークアイは肯いて残りの窓を覆う分厚いカーテンを開けていく。 「あいつ、もう起きてんの?」 「はい。食事が済んだら散歩だと言っていましたが」 「またかよ……」 うわ、と顔を歪めると、無表情だった彼女が僅かに口元を緩めた。 「そう仰らないで下さい。これもリハビリですから」 「……判ってるって」 寝癖の残る髪を乱暴に掻いて、ベッドから足を下ろしてゆっくりと立ち上がる。 彼女が心配そうに見守る中、サイドボードに置いていた眼鏡を手に取ると鉛のように重く感じる足を踏み出した。 「おはよう、ヒューズ」 部屋を出てすぐにダイニングルームがある。明るい光に満たされたその部屋で、男が新聞を広げていた。彼もまた、挨拶と一緒にその名を口にする。 「……おはよう」 いうことを聞かない重い足を引きずり、彼と同じテーブルに着いた。淹れ立てのコーヒーと香ばしいパンの匂いがヒューズの鼻腔を擽る。 「早速で悪いが、私の名前を言ってみてくれるか」 「ロイ・マスタング大佐殿だな」 面倒臭そうに言えば、彼は新聞から目を離さずに低く笑った。 明らかに面白がっている。そのことに憮然として、ヒューズは用意されていたカップに手を伸ばした。 しかし思い通りに動かせず並べられていた一輪挿しにぶつかり、それが倒れかけたところを彼の手によって助けられる。 慌てて「済まない」と謝罪すれば、彼は全く気にした様子もなく頭を振って零れた水を拭き取った。 「それじゃ、スペルはどうだ」 「……ん?」 慎重な手つきでカップを取り、注がれた熱いコーヒーに口をつける。その途端また問われ、ヒューズはカップに口をつけたまま眉を寄せた。 「私の名前のスペルを言ってみてくれ」 「……あー」 一口含んでからカップを戻し、何だったっけな、とガシガシと頭を掻いて考え込む。 確か昨日も聞いた筈だった。アルファベットもAから順に何度も彼と復唱した。それなのにどうしてもすぐには思い出せない。 「確か…えー、L…いや待ってくれ、Lじゃなくて」 「焦らなくていい」 黒髪の男が穏やかな、しかし期待を薄く滲ませた目で自分を見つめているのが判る。 「R…R、O、……あーっと、それから……」 「R、O。そこまでは合ってる」 「大佐、食事を先に」 二人のやりとりをじっと見守っていたホークアイだったが、このままでは食事が冷めてしまうと踏んだのだろう。 彼女に促されて、ロイは肩を竦めるとナイフとフォークを手に取った。ヒューズは彼が取る行動を横目で見ながら、同じようにナイフとフォークを手に取る。 カリカリに焼かれたベーコンを切るためにはその二つを、パンにバターを塗るにはナイフを、スープを飲むには底の深いスプーンを。味わうのは二の次だ。 『覚えたこと』と『忘れていること』の間を忙しく行き来しながら、それでもヒューズは空腹を訴える自身の身体にそれらを流し込んでいった。 |