あちらこちらで凄まじい爆音と、人々の悲鳴や怒号が聞こえる。絶え間なく鳴り響く銃声は、仲間のものなのか敵のものなのかももはや判らなかった。

「こっちだ!」

先導する男の後を追い、拓海は瓦礫と、散乱するかつては『人の形をしていたもの』を飛び越え無心に走っていた。肩には自動小銃。89式と呼ばれるそれが作られた時代を覚えている人間はもういない。それどころか、この世界が今どうなっているのか説明出来る人間すらいないのが現状だった。

「!」

いきなり頭上からヒトの形をした化け物が降って来たのに、拓海は反射的に銃を構えた。

「撃て!」

拓海の様子に気付いた男が振り返り、未だ躊躇う拓海に一喝する。

「……!」

ヒトの形をしていながら、ヒトではないモノが、白い靄のかかった双眸で拓海を見ていた。虚ろであるのに、たった一つのことだけをインプットされたコンピュータのように、ただ人間を残忍に殺していく化け物。この世界に溢れ返るこの怪物に、一体どれだけの人間が殺されたのか。拓海の友人も、親も、多くの仲間も無残に引き裂かれ殺されていった。
それなのに引き金を引けない。引き金にかけた指が震えてしまう。

「藤原!」

男が迫る敵を蹴散らしながら、拓海を振り返り声を張り上げる。だが、やはり拓海は銃口を相手に向けながらも引き金を引けずにいた。
こいつらがヒトの形をしているからだ。だから殺すことに躊躇いが生じる。
じりじりと迫る敵を見据え銃を構えたまま、拓海が後退りを始めた時だった。

「――――ッ…!」

ドン、と乾いた音を立てて男の銃が怪物の頭を吹き飛ばした。生暖かな――――人と同じ赤い血と脳梁が、拓海の顔に降りかかる。

「……いい加減、甘ったれてんじゃねえぞ」

怒りを抑えたような低い声。逆立てた前髪が所々額に落ちその目を覆っていたが、彼のきつい双眸が光を失うことはなかった。

「啓介、さ―――」

「行くぞ。……次はねえからな」

さっさと歩き出した啓介に、拓海は慌てて顔を拭うと、銃を担ぎ直して小走りに後を追った。


人口の光を失ったこの世界では、昼間でも厚い雲に覆われどこか薄暗い。そして訪れる夜の闇は鼻先にいる人間の輪郭すら判別出来ないほど深かった。その真の闇を引き裂くのは、得体の知れない化け物と人間が交戦する時だった。

銃口が火を吹き、爆発と共に炎が立ちこめる。炎が周囲を照らしだすのを頼りに、拓海達は戦っていた。

「啓介さん!」

仲間の一人が悲痛な声を上げたことで、啓介の足手纏いにならないよう必死で応戦していた拓海は、周囲の異変にようやく気がついた。

「!」

四方を敵に囲まれていた。その数は多く、拓海達の倍以上はいる。虚ろな目をしたヒトによく似た化け物たちが、じりじりと迫ってくるのが見える。

「チ……!」

一つ舌打ちをすると、啓介が背負っていた鉄の塊をがしゃりと重い音を立ててその手に構えた。ロケット弾を装填し、敵が迫る前方に狙いを定める。

「伏せろ!」

男の張り上げた声に、周囲にいた仲間が一斉に頭を抱えるようにして瓦礫の海に身を伏せた。その直後に、強烈な爆発音と熱風が拓海達の頭上を掠めていった。周囲には肉が焦げる匂いと、火薬の匂いが一気に漂い始める。
啓介がランチャーで大多数の敵を吹き飛ばしたせいか、化け物達が一度に退散していく。目の前に開かれた突破口に、啓介が 「行くぞ!」 と駆け出した。仲間達もそれに続き、歓喜の声を上げて走り出す。

「……っ!」

拓海もそれに続こうとしたその時、左胸を激痛が貫いた。思わず胸を押さえ、その場に蹲る。

「く……」

心臓が大きく波打ち、口から飛び出しそうに苦しい。声は出せずに、ただ遠ざかっていく仲間達の背を霞む視界で追うことしか出来ない。

「藤原!」

一人残されると思った拓海の耳に、啓介の声が飛び込んで来た。先程の怒りを滲ませた表情ではなく、僅かに青褪めた様子でこちらへ走ってくるのが見える。

「啓介、さ……」

「また発作か?……大丈夫か?」

「……スミマセン。もう大丈夫、です……」

こうして啓介と共にシャングリラを目指し、そこへ近付くたびに痛みは増していく。きっと、解放も近いのだろう。

「大丈夫じゃねえだろ。ったく、顔真っ青じゃねえか……ほら」

肩を貸され、立ち上がる。啓介の鍛えられた腕が腰に回されるのに、拓海は思わず赤くなった。

「この先には俺のアニキがいる。アニキなら、お前の病気のこともきっと判るし、きっと治してくれる。だから諦めるなよ。俺が絶対に助けてやるから」

「……はい」

勇気付けるように笑いかける啓介に、拓海も自然と笑顔になった。だが、まだ青褪めた顔色をして笑みを見せる拓海をどう思ったのか、啓介は苦笑して僅かに背の低い弟分の頭を撫でる。その暖かな手が、拓海には何よりも嬉しかった。

近代化も進み、実り豊かであったこの世界の均衡が崩れたのは一つの古文書が原因だったと聞く。荒廃し、人間ではないものが徘徊する今の世界からは想像もつかない、平和な世界。それを一瞬で壊したのは一体どんなものなのだろう。
啓介の兄は、その謎を解くために旅立ったと聞いた。そしてまた、啓介自身も。

「……もうすぐ夜が明ける。今日はこの辺で休むとするか」

啓介の提案に、生き残った仲間達は肯いた。各々が横になりやすい場所を探して腰を落ち着ける。

「藤原も休めよ。……あまり俺の側から離れないようにな」

言われて、面映い気がしながらも啓介の側に腰を下ろした。たまにはいい夢を見たいよな、と細やかな望みを口にする啓介たちを見て、拓海はぼんやりと考えていた。
そう言えば、あの夢を見始めたのはいくつの頃だろう。
無機質な祭壇のようなものに横たわる自分と、覆い被さってくる男の影。影は暗くて、顔は判らない。けれど若いということだけが何故か感じられて、拓海は不安と絶望と―――――そして安堵に包まれ、男の振り上げる剣をじっと見つめている。
振り上げられた剣は寸分の狂いもなく拓海の左胸に突き立てられ、拓海の心臓は一度だけ大きくドクリと波打つのだ。そして、剣に穿たれたままゆっくりと繰り返される鼓動は、やがて小さくなり動きを止める。
幼い頃は恐ろしくて仕方がなくて、何度も繰り返される悪夢に怯えていた。そして父の口からそれが自分の未来であることを知らされて、眠ることが怖くなった。何度もぐずり、父を困らせたことを覚えている。

しかし年を経るにつれ、いつしか恐怖は諦観へと変わっていった。いつか、この心臓の鼓動を誰かに止められる時が必ずやってくる。それが運命だと、幼い頃から何度も聞かされていた。

「………」

だが、長は生きたければ啓介と共に行けと言った。あの男が古文書に記された光を導く者だと、命の灯火が消えるその直前に拓海だけに明かした。拓海が生きるには、それしか道はないのだと。だから拓海は啓介を守り、自分の命を繋ぐ道を見つけなければならない。それなのに、自分はこうして啓介の足ばかりを引っ張っている。

「何やってんだよ……」

自嘲に深い息を吐きながら、立てた両膝の間に顔を埋めた。そのまま僅かに首を捻り、隣に転がる男をちらりと盗み見る。
雲の隙間から僅かに覗く朝日が啓介の躯を照らし出していた。細身ながら均整の取れた体躯は無駄のない筋肉に覆われている。埃と砂と、敵味方問わずの血に塗れた腕。目を閉じて眠りを弄る表情は、思いがけず幼い。薄めの唇からは穏やかな寝息が漏れていた。

「……啓介さん……?」

そっと呼びかけてみても、彼からの応えはない。夜毎繰り返される戦闘で疲れきっているのだろう、仲間達もみな死んだように眠っていた。

「……」

寝息を漏らす唇に、そっと唇を重ねてみたいという衝動に駆られた。太陽など射すこともないこの世界で、どこかいつも陽の匂いのする彼の唇の温もりが知りたかった。

「………」

トクトクと、先程の痛みとは全く違う鼓動が胸を打つ。震える腕で己を支えて、やはり震える唇をそっと近付けていく。 もう少し。もう少しで、彼の唇と重なる。だが、あと僅かな距離を残して、拓海はふっと己の唇を噛み締めた。

「……何だよ。これじゃ変態みたいじゃねーか……」

やめやめ、と頭を振って啓介に背を向けると、拓海も眠りを貪るべく横になった。日が落ちれば、またあいつらが襲ってくる。生き抜くためには眠れる時に眠り、食べれる時には食べなければ。

―――――それでも。
それでも、彼へと傾いていく気持ちは誤魔化しようがなかった。口づけることが出来ないならば、せめて彼の体温を感じていたい。自分が、彼が生きているという証を感じたい。命の鼓動が残されていることを実感したい。
拓海はそっと手を伸ばすと、まるで触れることを許されていない下賤の者のように、啓介の腕にそっと手を触れさせた。

―――――だが、彼は同時にお前を死へと導く者でもある。

長のもう一つの言葉がふいに頭を過ぎった。 啓介が導くという光がどんなものなのかは判らない。拓海を死へと導くというその予言が、拓海の死を以てしての光なのか、それとも拓海を救う光なのか。彼が目指すシャングリラに、その答えがきっとある。

啓介は何も知らない。自分が光を導く者だということも、拓海の『病気』の真実も。
幼い頃から見続ける悪夢が、この先に現実として待っていたとしても。
夢の通りに自分の鼓動を止める人間がいるのなら、出来ることならそれが彼であって欲しい。拓海は雲の合間から差し込む僅かな光にそう願った。