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何もかもを喰らい尽くしてしまうような、赤い炎の海が眼下に広がっている。 人々は逃げ惑い、倒れ、声にならない悲鳴を上げて炎に巻かれ飲み込まれていく。 男は城の回廊から一人、その有態を静かに見下ろしていた。 広い額に落ちてかかる髪も、その身に纏った簡素な防具も、あちこちが血と煤に汚れていた。 右手で押さえる左の脇腹からは、今も止まることのない夥しい血が流れ、石造りの床に血溜まりを作っている。 悔いはなかった。例え誰に責められ、罵倒され憎まれても、自分は自分らしく生き抜いたのだ。 ――――そうだ。自分はこう言う風にしか生きられなかったのだから。 炎は狂ったように勢いを増し、すべてを飲み込んでいく。 築き上げた地位も、名誉も、金も、力も、何もかもすべて。 彼への想いも、すべて。 キインと音を鳴らし剣先を軽く合わせ、稽古が始まった。 啓介の相手は18歳になる正騎士の青年だ。身長が150センチを超えたばかりの啓介にとっては、相手は見上げるほどに背が高い。 「……チッ…!」 必死に剣を振り、斬りかかる。だが身長の差は如何ともし難く、相手の青年に簡単に封じられてしまう。それなのに相手は啓介のプライドを傷付けないよう、わざと隙を作って見せるのだ。 ――――クソ、馬鹿にしやがって……! それなら、こっちにも考えがある。 啓介は相手の見せた『隙』を突いて、青年の懐まで飛び込んだ。そしてそのまま青年の腿に剣を突き刺す。 「うあああッ!!」 青年が悲鳴を上げ、血の臭いが鼻を突くのと同時に啓介は後退りして離れる。 「大丈夫か!?」 その場にいた騎士や女官が慌てて駆けつける。蹲り、苦痛に顔を顰める青年を啓介は一瞥すると、そのまま自室へと引き上げていった。 「啓介。また稽古の相手にわざと傷を付けたそうだな」 部屋に入るなりそう言って涼介は秀麗な眉を顰めた。 「俺が悪いんじゃねーもん」 兄のその言葉が不服とばかりにそっぽを向いて、啓介は不貞腐れてベッドにダイブする。石造りの窓から入ってくる風が心地良くて、啓介はシーツに顔を押し付けてからちらりと兄を見遣った。 「ガキだからって甘く見て、手ぇ抜く方が悪い」 反省の色のない弟に今度こそ涼介は溜め息をついた。 「…相手は大人なんだから当たり前だろ。手を抜いてんじゃねえよ。子供相手に手加減してることくらい判るだろ」 「判んねーよ!!」 ムッとして啓介は勢いよく身を起こした。 「この前の試合じゃあいつくらいの奴を負かせたんだぜ!?もう同じ歳の奴なんかじゃ物足りないんだよ!!」 「啓介」 「もっと強い奴と、遠慮なしに手合わせしてえんだよ。俺、まだ外に行っちゃ駄目なのか?……毎日毎日、城内の人間と顔付き合わせんのはもううんざりなんだよ……」 「……」 啓介の憤りももっともだと、涼介は口を閉ざした。 赤城では毎年春に、剣技試合が城の闘技場で開催される。本来は騎士の称号を手にするには至らない年齢だが、11歳になったばかりの啓介は実力も然る事ながら――結局は王子と言う立場を利用して試合に出場し、初勝利を収めた。 だが、それも全ては【王子】相手に青年がわざと負けただけに過ぎず、誰もが判る演出だ。もちろん啓介もおおよそは理解出来ているのだろうが、プライドがそれを許さない。事実、啓介と同年代の子供では彼に敵う者はこの赤城にはもういないと言われている。 しかし、あの剣技試合が裏ではお披露目会などと揶揄されているのも事実だった。 「……」 涼介はもう一度溜め息をついた。この弟の荒い気性は父王に似ている。 「気持ちは判らなくもないけどな。とにかく相手にわざと傷を負わせるような真似はよせよ」 「………父上はそれでもいいって言ったぜ」 「啓介」 兄に静かな口調で諌められ、啓介は渋々と肯く。 「約束だぞ。――――ああ、それから父上がお呼びだ。ちゃんと着替えろよ」 「父上が?何で」 「俺が知るかよ。とにかく来いと仰せだ。さっさとしないとご機嫌損ねるぞ」 偉大な父王は偉業を成し遂げた功績とは反対に、その傲慢さや残忍さ故に敵も多く作ってきた。彼が何よりも慈しんでいるとされてる二人の息子であっても、父王の子供のように移ろいやすい感情を止める術はない。 それを涼介はこうして時々揶揄する。涼介は勉学・剣技・容姿を取ってもまさに完璧と言える人間で、父王からの期待も当然だが高い。ただ、父王や母后の前での立ち振る舞いと、啓介と話す時とでは雰囲気も口調も全く違う。 以前、啓介が一度尋ねたことがある。父が嫌いなのかと。啓介は父に多少の不満はあれど、概ね尊敬し敬愛していた。だから不思議に思っていたのだ。臣下達には厳しいが、息子である自分達には優しい父に、何故兄は良い感情を持っていないのかと。 しかし明確な返事はなく、涼介は苦笑するだけだった。 「―――まあ、俺が唯一本音で話せるのはお前と史浩だけだろうな」 そう言って啓介の髪をくしゃりと撫でた。 啓介はまだ子供で、同じ子供ながら大人の世界を歩み出している涼介の言うことがよく判らなかった。ただ漠然と感じたのは兄が孤独なのだということだけ。この城の生活が窮屈だと思っていたのは、啓介よりむしろ涼介の方だったのかもしれなかった。 「父上。失礼します」 ノックをして入室すると、既に夜着に着替えて寛いでいた赤城の王である父が手招きをする。 「おお、涼介。啓介もおるか」 「はい」 室内に入り父王の元へ足を進めると、小さな子供が父王に隠れるように立っていたのに気がついた。 「…?」 啓介よりも更に幼く、身なりは粗末。髪の毛も埃で白くパサついている。 横顔しか見えないが、その横顔もパサついた髪でよくは判らない。とてもではないが、赤城という大国の王の部屋に相応しい身分の子供とは言えなかった。 啓介の戸惑いは、前に立つ涼介も同様だった。 「父上…?」 訝しげに発せられる涼介の声に、父王は笑った。 「ああ、先刻到着したばかりでまだ湯浴みをさせてないのでな。紹介しようか」 父王が促すと、薄汚れた子供は大儀そうにこちらを向いた。 「…………」 こちらを向いても名乗ることもせず、俯いたままでやはり顔がよく見えない。 「啓介。今日からお前の稽古の相手を務める、拓海だ。歳はお前より確か3つばかり下だったかな。だが、剣の腕前は確かだ。歳も近いし、いい友人になるだろう」 父王と紹介された子供を交互に見て、啓介は勿論、涼介も唖然とした。そして、やはりと言うか先に激昂したのは啓介だった。 「……嘘だろ!?父上、俺を馬鹿にしてんのかよ!!こんな汚ねえ、しかも俺より小せえ奴なんか相手になる訳ねえだろ!!」 「啓介!」 父王に対して口の過ぎる弟を、涼介は諫めるように声を上げた。 「だって、アニキ…!!」 「父上がお前のために選んだんだ。仲良くしてやれ。……それに、剣の腕も実際にやってみなければ判らないだろう」 「でも…!」 「啓介」 涼介がこれ以上は言うなと頭を振り、行き場を失った怒りと戸惑いに啓介の視線が彷徨う。 父王は静かに頷いた。 「判ったようだな。では、そうだな――友人として、取り合えず今は浴場に連れて行ってやれ」 「………」 「啓介」 兄にそう促されると、啓介が憮然とした表情のまま一言も口を開かない拓海の腕を乱暴に掴んだ。苛立ちそのままに足音を立てて啓介が部屋を出ていく。 扉の向こうに二人の姿が消えたのを確認すると、父王は涼介に視線を戻し問いかけた。 「あの子供をどう思う、涼介」 「……どう、と言いますと?」 「私はあの子供の親を気に入っておってな。秋名と言う小国の騎士だったが、名騎士として名高く、腕は確かだ。出来れば親子で連れて来たかったのだが……。まあ、少し面倒なことになってな。幸いあの子供は父親に似て腕がいい。身体が小さいからと言って甘く見ていると啓介が怪我をする。涼介、悪いが暫くは啓介とあの子供の様子を見ていてくれないか」 「……僕が、ですか?」 父王は頷いた。 「他の誰が言っても聞かんだろうが、お前が言えばあのやんちゃ坊主も多少は大人しくなる。あの子供の素性を話す必要はないが、あいつのことだ。稽古を始めればいい気になってあの子供に斬りかかっていくだろう。その時、啓介が怪我をしては遅い」 「………」 そういうことか。涼介は父王に悟られないよう、それでも耐えられず眉を顰めた。 あの子供が連れて来られたのは弟の剣の相手をするためだけだ。今は大人の兵士が相手をしているが、手加減されることを啓介は屈辱と言っては周りに当り散らしている。かと言って同じ子供では相手としては不足だ。歳若い少年兵では加減が判らず、王子を傷つける恐れがある。 そこで選ばれたのが名騎士の血を継ぎ、その手解きを受け、王子の相手を務められるレベルまで達している―――あの子供ということなのだろう。 王子よりも品性があってはならない。 王子よりも知性があってはならない。 王子よりも体格が劣っていなければならない。 そして何よりも王子が誤って『殺めてしまっても構わない』身分の子供でなければならない。 反吐が出そうだった。拓海は啓介の「友人」とは名ばかりの、体のいい遊び道具としてこの城に連れて来られたのだ。 「どうだ?涼介」 あの子供の父親はどうなったのだろう。選り好みの激しい父王が気に入っていると言い切ったほどの騎士だ。だがその愚問を口にすることはない。 「………判りました。明日から、二人の稽古には僕も立ち会います」 その返事に満足気に頷く父王に頭を下げ、込み上げて来る吐き気を抑えながら退室した。そのまま足を浴場へ向け、二人の様子を窺う。 やはりと言うか、そこに啓介はおらず、拓海が一人湯に浸かっていた。 「涼介様」 涼介が入って行くと控えの女官が立ち上がろうとしたが、それを手で制して拓海の側で膝を着いた。 「……きちんと汚れを落とせ」 蒸気で幾分濡れた髪も、未だ埃まみれだった。 「………」 ぼんやりと、そして興味もなさそうに拓海が涼介を仰ぐ。顔もろくに洗っていないようで、涼介は眉を寄せながら拓海の頬に手を伸ばした。 「涼介様!!」 女官が慌てて立ち上がる。 「そのようなことは、私共にお任せ下さいませ!」 ヒステリックに叫ぶ女官が手にするタオルをひょいと取り上げ、涼介はもう一度彼女を手で制した。 「大丈夫だ、俺がやる。それよりお前はこの子に合う服を用意してやってくれ。そこにある服では大きすぎる。啓介の以前の服があるから、それを持って来てくれ」 「ですが…!」 「何度も言わせるな」 まだ納得が行かないと言うような表情の女官を追い出し、涼介はタオルを湯に浸けて硬く絞った。先程からぴくりとも動かない拓海の汚れた頬を、タオルで拭ってやる。 「目を瞑ってろよ」 そう言っても瞑ろうとしない拓海に溜め息をつき、手を伸ばして瞳を閉じさせる。そして頭から湯を被せた。埃で白く染まった髪の色が、濃い栗色へと変わっていく。 石鹸を手に取り泡立て、顔、髪の毛と丹念に洗っていくと、拓海の容貌がはっきりしてくる。実際の年齢よりも、もっと幼い印象だった。 「……辛いだろうけど、呆けてる暇もねえぞ」 すると、今までろくに反応を返そうとしなかった子供の薄い肩がぴくりと震える。それを苦く思いながらも、涼介は淡々と続けた。 「お前には明日から仕事がある。だから今日はこの後メシ食って、きちんと寝ろ。今までお前がどんな生活をしてたか知らねえけど、それはもう忘れるしかない。ここは赤城で、お前は俺達に仕えなきゃならない者だ―――不本意だろうけどな」 8歳の子供にどこまで通じるかは判らなかったが、それでも拓海は何かを感じたようだった。肩が小刻みに揺れ、嗚咽が小さな唇から漏れる。 「………」 どんなに聡明で、どんなに偉そうなことを言っても所詮涼介もまだ力ない子供だ。もし明日、啓介の剣がこの子の胸を貫いたとしても自分には何も出来ない。 「……泣くなよ……」 震える拓海の髪を梳くように、何度も優しく撫でた。 この小さな子供は、どんな思いで祖国である秋名を後にしたのだろう。意味も判らず親と引き離され、こんなにも遠い国まで、たった一人で連れて来られて。 自分の命の価値などないのだと、玩具としか思われていないことを理解しているのだろうか。 そこまで考えて、涼介はまた息を吐いた。今はこの子供に同情している場合ではない。 とにかく今は、経緯も知らずに拓海の存在を鬱陶しがる啓介を、どう諭すか考えなくてはいけなかった。 |